大阪地方裁判所 昭和26年(ワ)663号 判決
原告 奥田直三
被告 八尾ミツ
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し大阪市旭区今市町一丁目百五十七番地(旧町名番地同市町九百四十一番地)上木造瓦葺平家建家屋二戸一棟の内北向西側の一戸を明渡し、且昭和二十五年七月一日から同月三十一日まで一ケ月金百五十円、同年八月一日から右家屋明渡済に至るまで一ケ月金五百三十円の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並に仮執行の宣言を求め、其請求の原因として原告は右建物の所有者であり昭和十八年の春訴外福井竜平に対し右家屋を賃料一ケ月金十八円毎月末払の約束で賃貸し、右訴外福井竜平は爾来その家屋に内縁の妻であつた被告と同棲し来つたが、昭和二十五年六月二十八日同訴外人は大阪家庭裁判所に於て成立した調停に基き被告と離婚し、右家屋から立退くことになつたについて、原告との間に前記家屋の賃貸借契約を合意解除し、同月末日限り之を原告に明渡すことを誓約した。そして同訴外人は右約束を実行して大阪市旭区新森小路中四丁目六十一番地に転居したが、被告は同訴外人との間の夫婦別れの手切金十二万円支払の約束が、未だ全部履行せられず、内金六万円未払であるとのことを理由にして本件家屋から立退かず、何ら権原なくして右家屋を不法に占有しているから其明渡と昭和二十五年七月分は一ケ月金百八十円同年八月一日以降は一ケ月金五百三十円の割合による家賃金と同額の損害金の支払を求めるため、本訴に及ぶと陳述した。<立証省略>
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として原告が本件家屋の所有者であること、そして被告が現在其家屋に居住していること並に其家屋の賃料額が原告の主張のとおりであることは之を認めるが、被告が本件家屋に居住するに至つたのは、昭和十七年原告の甥である訴外福井竜平と結婚し、結婚式を原告方で挙げ、同訴外人と共に、原告所有の本件家屋で夫婦生活を営むために之を借受け(其時期は昭和十八年)たものであり、爾来同訴外人とそこで同棲生活を続けて来たが、昭和二十四年頃に至つて右訴外人は勤務先の女事務員と関係し、女の家に入浸つて帰宅しなくなつたので、被告は大阪家庭裁判所に同居並に扶養料請求の調停を申立て、其結果右訴外人が情婦と別れることを肯んじないため、被告は調停委員の勧告によつて同訴外人と離婚することを承諾し、昭和二十五年六月二十八日其旨の調停が成立した。そして其調停に於ては右訴外福井竜平は本件家屋の賃借権を抛棄し、被告が従来通り其家屋を使用することを承認し、同年七月九日までに自己の所有物件を搬出したので、其後は被告に於て本件家屋を単独で使用し得ることとなつたわけである。そして本件家屋の賃貸借が形式上原告と訴外福井竜平との間の契約であるようになつていても、以上述べたようにそれは訴外福井竜平と被告とが夫婦としてそこに住むためになされた契約であり、原告も其結婚に関係がある位であるから、其契約は当然妻であつた被告をも当事者としたものと解するのが相当であるのみならず、被告は訴外福井竜平と原告との間に本件家屋の賃貸借契約が合意上解除されたということを否認するものであり、たとい右両者間にそのような意思表示があつたとしても、それは右両者が相通じてなした虚偽の意思表示であつて無効であり、更に仮にそれが虚偽の意思表示でないにしても訴外福井竜平は被告との離婚に際して手切金十二万円を支払うと約束し乍らそれを履行せず、また離婚後は被告に於て本件家屋を引続き占有してよいと認め乍ら勝手に原告との間に本件家屋の賃貸借契約を合意解除し、本件家屋の明渡を余儀なくせしめるというならば、それは殊更に被告の居住を妨げ、被告を困窮せしめるものであるから其行為は信義の原則に反すると共に解除権の濫用であつて無効であると述べた。<立証省略>
三、理 由
本件家屋が原告の所有であること、並に被告が現在そこに居住していることは当事者間に争がない。そこで原告が被告に右家屋の明渡を求める理由として主張するところを要約すると、(一)本件家屋は訴外福井竜平に之を賃貸したものであつて、その内縁の妻であつた被告に之を貸したことはない。従つて被告が右家屋に居住し得たのも、自分の権利に基いたのではなく、訴外福井竜平の賃借権に依つてである。(二)ところが右訴外人は昭和二十五年六月二十八日、原告に対し其賃貸借契約を合意上解除したから、被告と原告との間には右家屋に関して何ら法律上の正当な関係はなくなり、被告は右家屋を原告に明渡すべきであるというに皈するから、先づ右(一)の点について考察するに、右訴外福井竜平が原告の妻の甥であり、被告が右訴外人の妻であつたことは原告本人の供述によつて明かであり、また証人土井玉之助の証言によると、右訴外人と被告とが結婚した当時、その夫婦は本件家屋から約一町程離れたところに一戸を構えて住んでいたが、偶々原告所有の本件家屋が間もなく空いたので、原告の勧めによつて之を借受けるに至つたということが認められ、そのような事情からすれば、たとい原告が訴外福井竜平との間に本件家屋の賃貸借契約を結んだといつたとしても、それは当然訴外福井竜平夫婦を相手方としたものと認めるのを相当とする、というのは其際原告が特に被告を相手方とすることを拒んだという形跡が認められないし、一般的にいつて夫婦が同棲生活を営むために家を借りることは広い意味に於て日常の家事に属することであり、夫婦の一方が其家屋を賃借した際は反対の予告のない限り、他の一方も、其賃借から生ずる賃料支払義務について連帯責任を負う(民法第七百六十一条)ものと解すべきである関係上、特別の取きめのない限り、その反面に於て賃貸借契約締結の衝に当らずして連帯債務を負担するに至る夫婦の一方も、当然賃借人としての地位を獲得するに至るものと認めるのが至当だからである。従つて右(一)の点については原告の主張が否定せられることになり、被告が本件家屋に居住することは独自の賃借権に基くものというべく、被告が原告との間に於て自ら合意解除をしたと認められない限り、被告と原告との間の賃貸借契約は存続するものと認めてよい。そこで(二)の点に移つて訴外福井竜平が昭和二十五年六月二十八日原告との間になした合意解除が被告の右賃借権に影響するものかどうかについて調べてみるに、証人福井竜平、土井玉之助の各証言並に被告本人の供述と証人福井竜平の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第一号証及び乙第二号証とを綜合するときは、右訴外福井竜平の原告に対する本件家屋に関する賃貸借契約解除の意思表示は同訴外人の賃借権にのみ関するものであつて、被告のそれには何ら触れるところのものでないと認めることが出来る。そして尚仮に前述(一)の点についての判断を変え、被告には訴外福井竜平と夫婦であつた間、即ち右訴外人が前記合意解除の意思表示をするまでの間は本件家屋の賃借権がなかつたものと認めたとしても、証人福井竜平の証言並に乙第二号証によると、右訴外人が被告と離婚して本件家屋を立退く前、同訴外人は本件家屋の賃借権を被告に譲渡しており、甲第一号証の書面を原告に差入れたのは其後であり、従つて甲第一号証は右訴外人が自己のみの関係を清算する意味で之を差入れたものと解することが出来、また同訴外人の右賃借権譲渡について原告が異議を述べことも之を認め得るが、本件のような事情の下に行われた右賃借権の譲渡に対し原告が承諾を拒むことは、その賃貸権の行使が穏当を欠き、それは権利の濫用と認めてよいから、右賃借権の譲渡は適法に行われたものであり、被告には本件家屋の賃借権があるものと認めてよい。そして原告の全立証によつても以上の認定は之を崩すに足りない。そこで被告に本件家屋の賃借権がないということを前提とする原告の本訴請求は全部失当だということになるから、民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 小泉敏次)